家族葬のお断りは故人の仕事関係や親類縁者に対して、葬儀後に参列のお断りのお知らせを行なう事で、葬儀と言う儀式の内容も、時代とともに変容してきていますね。
家族葬でお断りの事例を見ると、故人の仕事関係や親類縁者に対して、葬儀後に参列のお断りのお知らせを行なう事が最近多くなってきていますが、葬儀と言う儀式の内容も、時代とともに変容してきている事が分かってきますよね。 以前であれば密葬と言う形で、少なくとも親類縁者に連絡をして、小規模な葬儀をするという形式はあったにせよ、家族葬でお断りを前提に、仕事関係の人への連絡は良いとしても、親類縁者に対して出欠席の如何に関わらず、葬儀の連絡をしないと言う風潮は如何なものかと思います。 親類縁者の参列も家族葬ではお断りになるとするならば、そうした葬儀自体をわざわざ斎場などでやる意味がなくなったと言えますが、葬儀自体は本来社会的な儀式になっており、葬儀を挙げることで故人の死亡を社会的に告知し、その葬儀の喪主を新しい戸主を宣言するモノですが、どうやらそうしたことも必要なくなったというか、やらなくても許される状況になっていると言えます。 このことはどう言うことを意味しているかと言えば、家が社会的な基盤となる最小構成要素ではなくなったということです。別の観点から言えば、個人主義になって家よりもその個人が重要視されるということになったと言えますが、それは欧米などの個人主義とは異質なもので、ここ50年ぐらいの間に日本で浸透してきた考え方と言えますが、逆にそうした個人の権利意識ばかり強調されて、コミュニティとの関係や責任に関してはなおざりにされた、いびつな個人主義と言えます。 家を中心にした戦前の家長主義でも、戦後の個人主義でも、コミュニティに対する関わり合いは、同じように保たれてしかるべきですし、そうでなければ健全な社会とはいえません。 そうした前提からすれば、家族葬の持つ意味がどこにあるのか、あるいは公的な葬儀として見なされるものではなくなってしまっているのではないかと思われます。 参列や香典などを家族葬でお断りする傾向は、既に以前から48日などが簡略化される傾向にあり、そうした傾向の行き着いた末のことでしょう。葬儀と言うのは面倒なものですが、それぞれの儀式に社会的な意味があり、アンケートなどでマーケティングリサーチをした結果、考案された家族葬と言うのは、そうした社会常識とは異質のものと言えます。 一概に香典や参列を家族葬でお断りする事に異論は唱えるつもりはありませんが、日本における社会的な伝統と言う意味では、それらを補完するシステムがあってしかるべきであると考えます。
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